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大聖院通信vol.6 「年のはじめに・・・」

ロウバイ
ロウバイ

新しい年を迎えてから、またたく間にひと月が過ぎてしまった。

 今年は巳年である。「巳」という漢字は、蛇が地中から出てくる姿をかたどった象形文字に由来することから、「起こる、はじまる」という意味もある。また、脱皮をくりかえして成長するその姿から、昔の人は、蛇を「再生・長寿・不死」の象徴と考えたという。

   正月には「おめでとう」と挨拶をする。しかし喪中の場合は、当人も接する方もお互いに「おめでとう」という挨拶を控える。また、世間一般のしきたりにしたがうならば、喪中は神社への参詣を遠慮することになる。一方で、寺院への参詣は、たとえ喪中であったとしても普段通りでよい。これは神社(神道)と寺院(仏教)との考え方の違いによるものなのだが、墓所がある菩提寺に喪中だから参拝できない…ではそもそも理屈に合わない、とも思う。とにかく、寺院としては、正月の参詣者の中には、喪中の方も、そうでない方もいらっしゃるので、迂闊に「おめでとう」と挨拶できないのである。

 ところが、たとえ“喪中ではない”という方であっても、よくよく話を聞いてみると、実は遠い親戚や友人・知人に不幸があったのだ、ということがよくある。結局のところ、ほとんどの方が、誰かしらの縁故者を見送っているのである。それが世の定めとはいえ、無常を痛感させられ、何とも切ない気持ちになってしまう。しかし、生きとし生けるものは皆、いつの日か必ず逝く。それは誰にでも、そして、やがては自分自身にも、必ずやってくることなのである。

ハクモクレンのつぼみ
ハクモクレンのつぼみ

 昔むかし、とんち話で有名な一休さんは、竹竿の先にぶらさげた“しゃれこうべ(髑髏:どくろ)”を見せつけながら、正月の街中を行き交う人々に「このとおり、このとおり、ご用心、ご用心」とふれ回った。ある街人が「せっかくのおめでたい(お目出度い)お正月に、どうしてそんな縁起でもないことをするのか」と問いただしたところ、一休さんは「人はいつまでも目が出ているわけではない。やがて誰もがこのようになるのだ」と諭し、街人たちを「なるほど…」と納得させた、という。

「 門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 」(一休宗純『狂雲集』)

 

 もちろん、お正月を祝ってはいけない、ということではない。めでたいときは祝い、うれしいときは喜べばよい、と思う。しかし、だからといって、何事もそれがいつまでも変わらず永遠に続いてゆく…ということがないのが世の定めである。浮かれすぎて、その肝心なことから目を背けてはいけない。限りあるこの命・人生の有り難さをよくよく噛みしめながら、一つ一つの出会いを大切にして、一瞬一瞬を虚しく過ごすことなく、悔いを残さないよう一生懸命に生きていきたいなぁ、と思う。

 節分を過ぎると立春、暦上では春となる。(副住職孝善)

 

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