大聖院通信vol.7 「キズのある茶碗」

ふきのとう
ふきのとう

 にわかに骨董品の蒐集に凝りだした男が、いくつかの古道具屋をわたり歩いている内に、ようやく「これは・・・」と思えるような見事な茶碗にめぐりあった。手にとって眺めてみると、堂々とした姿形や釉薬の美しい色合いなどがとても素晴らしく、まことに味わい深い逸品である。ただ一つ、大きなキズがあることが気になった。

「このキズさえなければなぁ・・・」とさんざん迷い悩んだ挙句に、やはりどうしてもそのキズが気になってしまい、買い求めることを思い留まって店を立ち去った。

 後日、同じ趣味をもつ仲間たちにその話をすると、次のように諭された。

「アナタはたいへん残念なことをしてしまいました。もし骨董の名品がもつ素晴らしい味わいに魅せられて心底から惚れ込んだのであれば、キズがあろうと無かろうと、そんなものは取るに足らないことでしょう。そのような素晴らしい茶碗に出会ったにもかかわらず、たった一つのキズがあるために手に入れるのをためらったということは、それだけ茶碗に向き合うアナタの思いが浅はかだったということでしょう。名品の味わいそのものを深く愛でようとする気持ちが足らずに、かえってキズを嫌う心によって、またとない機会を逃してしまいました」と。

 仲間たちに諭された男は、己の浅薄な了見を恥じながら古道具屋へと急いだが、目当ての茶碗はすでに他人の手に渡ってしまっていた。

ようやく開いた梅の花
ようやく開いた梅の花

 

 物事の良し悪しを見分けるのは難しいことであり、誰でも良い品物を選ぼうとして、鋭い観察力をはたらかせて品定めをする。しかし、きびしく観察するより以前に、品物そのものを心から愛でようとする優しい気持ちが根っこになくてはならない。それは物だけではなく、人に対しても同様である。

ハス池のつらら
ハス池のつらら

 我々はどうしても他人の欠点にばかり目をやり、腹を立ててしまう。そして、自分のことを棚に上げて、他人を責めたりもする。しかし、自分がそうであるように、全く欠点のない人などいない。たんに欠点に目をつぶれということではなく、相手のことを本当に大切に思うのであれば、欠点だけにとらわれず、深く広い心で相手を認め、受け容れていこうとすることが望ましいのではないか。むしろ逆に、相手の欠点ばかりを気にして、しかもそれを責めようとする己の狭量な心をこそ反省するべきであろう。

 欠点にばかり目がいくような浅はかな了見のため、肝心なものを見落としてしまい、せっかくの出会いを棒に振れば、悔いを残すことになる。

(副住職孝善)

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